カメレオンの抜け殻

1日1本だけ、読むと元気になったりならなかったりするブログを書いてます。

夜中と孤独と芸術

【はじめに】

更新しなくなってから、もうだいぶ経つのに、なぜか毎月1000回以上読まれています。
偶然見つけてくれた人も、思い出したように読み返してくれている人も、読んでくださっている方に感謝しています。本当にありがとうございます。

 

今日

某内閣ブレーンの方が

Eテレは視聴率が低いから、売却してしまった方がいい。」

と発言して炎上しているようです。

 

まぁ当然です。
世界初の教育専門チャンネルとして、国内ではもちろん世界でも有数の、単一チャンネル内における圧倒的多様性を誇っているEテレを売却だなんて。
きっとEテレを見たことがないのでしょう。

おかあさんといっしょN響趣味の園芸etc.
こんな番組を同じテレビ局でやって視聴率を期待しようとする方がおかしいのです。

 

田舎とEテレ

田舎というのは非常に罪深いです。刺激もなく、知りもしない他人の噂話が娯楽です。多様性は同調圧力の影に埋もれ、周りと同じように陽の当たる場所を求めて生活しなければなりません。
その中で、Eテレはひっそりと僕らの心の支えになり続けるのです。

デザインの話なんて誰も教えてくれませんし、気になるあの子はきっと流行りの音楽の方が好きなんです。
でも夜中にチャンネルを合わせれば、素晴らしい、あっと驚くデザインがそこにはあります。

音楽の授業でオペラを鑑賞しても、周りの友達は寝ているだけです。
色とりどりの衣装や、大がかりな演出。その全てを、感動をもう一度味わいたいときにはまたチャンネルを合わせるのです。

1つのボールの行方は、複雑かつ美しい物理法則に導かれて、今日も緑の旗を立てるために進み続けます。初めて月面で揺れる星条旗を見た感動も、そのチャンネルにはあります。

 

日常では孤独でも。
好きなものや美しいと思えるものを、学校や職場で共有できなくても。
今まで知らなかったことや、日常に溢れる不思議な美しさを。
孤独から生まれる芸術を。その美しさを。

周りに馴染めなくとも、周りと同じものを心から愛せなくても。
誰かの居場所は、僕らの居場所はきっとこの広く、美しく、素晴らしい世界と自然の中に、人間の営みの中にあります。

 

それを日本という国がテレビを通して僕たちに、伝えてくれていた気がするのは気のせいでしょうか?

側から見たらくだらない映像も、写真も、演劇も、デザインも、娯楽も、子供たちが元気に走り回る様子も。誰かの何気ない文章も。

効率や利益は大切です。しかしそれを気にしなくていいからこそ、非効率でも非営利でも、だからこそ誰かに寄り添い、まだ見ぬ興味と探求の希望があってもいいんじゃないでしょうか。

田舎の図書館の蔵書には限界があります。田舎の所得では一家に一台のPC ですら持てないかもしれません。でもその中に、田舎だからこそまだ見ぬ才能が眠っているかもしれないのです。芽が出ることに期待してはいけませんが、土の中に眠る種に、丁寧に水やりをする価値はとても効率がいいですし、だからこそそういったコンテンツにお金を払いたいと思います。

 

 

いつ何が起こるかわからない中で、人が生活の中で産み出し、成長させてきたものには、普遍的な美しさがあります。

その営みを絶やさないためにも。