カメレオンの抜け殻

1日1本だけ、読むと元気になったりならなかったりするブログを書いてます。

文章と知見

どうやら最近、周りの人間がnoteなるものを続々はじめいてるようなので、私も久々に文章を書いてみようと思う。

 

まぁ、宮古界隈でいちばん早く文章を書きはじめていたと思うし、いきなりはめじた人間には負けていられないという、空虚な自負心が理由である。

 

 

本来、人間は文章を読むということが得意ではない。
これは自明である。
私がここまで丹精込めて書いた文章を、一字一句、噛み締め、2回の誤字に気が付きながら読んだ人はそれなりに少ないだろう。


読みやすい文章を書く
という行為ほど、難しいものはない。
細部に拘ればいつまで経っても流砂の中でもがくようなものであるし。こういった比喩などを入れた瞬間に、いっそう読み手は興味をなくす。

なのでここからは至って真面目にコツを書き連ねていく。

 

1.結果の最初に

これはスライドなどでよく使われる手段なので、知っている人も多いだろう。
結果はタイトルに示すことで、読み手の関心を惹くことができる。さらに、結果を前提として文章を読んでもらえるので、論理的なプロセスを読み手の脳内で、書き手の思い通りに組み立てることができるのだ。

現にこの文章を読んでいるあなたは、「さっさと」、「それなりに」、「できる風な」文章を書くために、このブログを読んでいるはずだ。文章は2行で説明できる事柄を、何十行でも引き伸ばして書くことができる。修飾語や、比喩はときに無駄になりすぎるのである。
2番目の項目は結果を最後に書き、長ったらしくしてみるので、読み比べていただきたい。

 

2.日本語は難しい

日本語という言語は、学べば学ぶほど、書けば書くほどその難解さを思い知ることになる。それは英語や独語、仏語などの他言語を能動的に学習したことのある人間には理解が容易いだろう。我々日本人は、自分の思考を言語化し、書き記すためにこの言語を使わなければならない。なんという不幸だろうか。
しかし悲観している場合ではない。私たちは文章を書くことを目指しているのだ。書かねばなるまい。
ではまず文章を書く際に、細かいルールを気にする必要があるだろうか?
これはこの先書くこと全てに関係してくるが、よっぽどで無い限り「ない」。
完璧であることに越したことはないが、その結果かえって読みづらくなる。そもそも完璧でなければいけないのなら、日本語学者以外には文章が書けなくなってしまう。
先ほど述べたように、結果から列挙し、単調な文章の方が情報の吸収効率は増え、記事の評価も高くなることがあるのだ。
読者はそれほど文章に興味がなく、その内部にある情報に興味がある。そのことを頭の中心に据えながら書くほうが、自分の情報を発信することが目的の文章はわかりやすくなるだろう。

 

 

休憩

ここまで読んでみてどうだろうか?おそらく明らかに1番の方が読みやすいだろう。ここから後ろは、本気で文章を書きたい人以外は飛ばしていただいて構わない。内容がニッチになりすぎるので。
結果を後ろに置いてしまうと、学生の頃にやった英語の長文読解のようになってしまう。結論までのプロセスが、文章の中でバラバラになっているのである。先ほど言ったように、読み手はそのnoteやブログに書いてある「結論としての情報」に興味があるのだ。あなた独自の表現はそれほど重要では無いし、こだわって作った文章に読者はさして興味がない。「やればできる!」ならオンラインサロンではなくティモンディ高岸で十分であるし、洗練された文章を読みたいならアマチュアではなく太宰を読めばいい。

 

3.見出しは短く

見出しを短くすることには、2つメリットがある。
1つ目は言語化できるということだ。自分が項目を書くにあたって目的を目の前に据えることのなる。
2つ目は自分の理解度が上がるということだ。特に見出しに結論を置く場合には、その結論を短く書けるほど理解している。ということになるのである。

 

4.構成は単調に


至って単純な
結果

理由や感想、根拠

結果を繰り返し

と言った構成が多くの場合で伝わりやすい。無駄がなく、読み手からしてもわかりやすいからである。

実感が湧かない人は、小学生の頃の読書感想文を思い出してほしい。
先生からは「起承転結を意識して上手に書いてね」と言われるが、蝉の鳴き声が聞こえる最終日に白紙の原稿用紙が残っている。
実際、起承転結の構成はとても難しい。興味がある人は「糸屋の娘」という詩を読んでほしい。これを使って論述することの難しさがよくわかるはずだ。
この単純な構成は、普段の日常会話で多く使われるので、多くの人が日常の中で練習していることになる。書いてみるととてもスラスラかけるので、行き詰まっている人は試してみてほしい。


5.最後に

文章を書くことは難しく、自分の言語化能力と対峙する必要があるため、時に苦痛を伴う。しかし、毎日書くことは決して無駄ではなく、小さな積み重ねが気づかないうちに大きくなっている物である。昔の文章を読み返してみて実感する。
筋トレや楽器の練習のように、1週間使わなかった能力は目に見えて劣化していく。だから常に書いて書いて書き続けることこそ、自分らしい文章を書けるようになることにつながる。
自分自身が4年間書いているからこそわかる。
自分の無力さと、白紙の上では自由になる解放感。この2つを行ったり来たりしながら得る「自分らしい文章を書けた瞬間」は何にも変え難いので、書き始めたみなさんは書き続けてほしいし、書こうとしているあなたには是非とも、紙とペンを手にとるなりパソコンやスマホを開いてほしい。

 

 



長い駄文を読んでいただきありがとうございました。
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