カメレオンの抜け殻

1日1本だけ、読むと元気になったりならなかったりするブログを書いてます。

しりとり

久しぶりに本を読めるぐらい調子が良くて、文章をかけるくらいに調子がいい。

 

他人の書いたエッセイを途中まで読んでそれからまたこうやって画面に文字を打ち込んでいる。

 

他人の文章を読んでようやっと文章を書き始められるくらい、やる気というものが起きない。
他人の書いた文章で炙り出された自分の怠惰を、何度も何度も反芻しながら、文字を打ち込んでは消しながら、ページを進めては戻りながら、タイピングしていく。

 

時間がないことも自覚しているし、こうやっている間に社会との距離が離れていくこともわかっているのに、タイピングしていく。

 

いや、逆にあえて社会との距離を離しているのだ。
だがその行為は、釈迦の掌を飛び続ける孫悟空と一緒で、結局小さな個人の犯行として、それすらも巨大な社会に取り込まれてしまうのだ。

水流のロックのような約束をする人間もいない。
あるのはペンと紙。キーボードと液晶。怠惰と自分だ。

何度も何度も似たような感情を昇華しては、呼び戻して今日も文章を書いていかなければ巨大なものに打ちひしがれてしまう。

 

だから書くし、きっとそうでなくても僕だから書くのだ。