カメレオンの抜け殻

1日1本だけ、読むと元気になったりならなかったりするブログを書いてます。

呵責

部屋の隅から、入り口を眺め続けていたが、文章を書こうと思って、MacBook Proを立ち上げた。

結局この40万円する機械も、僕が指を動かさなければ、ただの板だ。

40万円の意味がない。

僕の書く文には40万円の価値もないけれどな。

日が沈んだ後の部屋で、電気もつけず、画面の灯りだけを頼りに文字列を打ち込む。
寝られるわけでもなく、生産的な活動ができるわけでもない。この体や世の中にもとより意味は無い。労働や、恋愛や、家族という営みの中で、日々無理矢理身体に意味付けをしながら生きている。

結局他者が存在しなければ、自分自身のことなど語り得ない。
矮小で、どうしようもない存在だ。

他者に憧れ、近づきたいと思いながら、受け入れられそうになれば自ら一歩引いてしまう。「幸せを両手を広げて受け入れることができない人間。」だ。

自分がなんなのかもわからず、自分の中にある材料だけでは何も作り上げられない。それが間違っている。と言われてもそんなことは承知しながら、否定するしかない存在だ。

わかっているからこそ否定できる。自己内部に矛盾を抱えたまま、自分自身を探ろうとしているのに、他人を持ち出してしまう。堂々巡りな存在だ。

「自分の幸せは、他人の不幸が巡り巡ってきたもの」なのだ。
しかし、「自分の不幸は誰も幸せに話し得ない」のだ。

弱い存在のふりをして、世界の中で自分を卑下しながら、夜を明かし、境目を失った朝を迎えるのだ。
それは「あした」などではなく、無限に広がっていく「きょう」であって、どこにも逃げ場などは無く、死の淵へと追い込まれていくだけなのだ。