混ぜる心、溶ける身体
呼吸を意識すると違和感があるように、自分を意識すると違和感がある。
なんでここにいるのか
今本当に生きているのか
自分は誰なのか
考えれば尽きないが、呼吸が気づいたら元に戻っているように
気づいたら自分への違和感も消えている
目標を持って生きる事と、無気力に生きることに本質的に違いは無いのではないか。
人間が人間らしく生きられるのは、社会主義なのではないか
なんのために学校に来ているのか
セヴンティーンが作り上げる世界への悩みはいつだって尽きない
その答えを学校は教えてくれない
アーキタイプに押し込まれる
「なりたいもの」が「なれるもの」
にすり替えられ自己を喪失しかねる毎日に、SNSを通した他人との比較の果ての優越感だけが自分を満たす。有意義に人生を過ごしているはずの僕らの人生は、つまらない喧嘩で他人と比較し優越感を得る4歳児と何も変わらない。
不穏な未来よりも、刻一刻と過ぎ去り、確信できるいまを重ねたほうがはるかに心地いい。
未来への不安と、形容し得ない社会への不安は僕の心で混ざり、2倍ではなく2乗されてしまう。
表面だけが違うものと本質が違うもの
心のマドラーで一度混ぜれば、分ける事は困難だ。
忙しく現実に振り回されて、その遠心力なら分離できるかと思っても、結局は僕という試験管で混ざる。
無意味な忙しさによる遠心分離なら辞めてしまえ。
僕の心はそう呟き、残り4時間の今日と不安とを一緒にマドラーで混ぜ始める。
2つが完全に混ざり、心から染み出し、僕の身体を満たせば、僕はそこまでだろう。
死ぬ理由はあっても、生きる理由はない。
ならば生きる理由を見出すためだけに生きねばならない。
僕の身体は不安に包まれる前に、音楽で身体と心を乖離させようとしながら、4時間を溶かす。
最後まで読んでいただきありがとうございます
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