カメレオンの抜け殻

1日1本だけ、読むと元気になったりならなかったりするブログを書いてます。

本と借金と時代

本を買った。

また借金を増やした。

 

あいにく利子がない親からの借金なので、今月にはすべて返済できるだろう。

だが借金というものは不思議で、それでも心を縛り続け、再び借金を繰り返してしまう。

その度に心に黒いわだかまりを抱えながら、返済までのモラトリアムを過ごさねばならない。この期間の何と重たいことか。

 

そんな借金大王の僕が、今月で借金を返せるという。

些細な幸福感を増幅するためと思い、久しぶりに本を買った。

今までの財布に20円しか入っていない僕は、電子書籍著作権の切れた大正文学ばかりを読んでいた。プロレタリアの世界に心を沈め、自分と重ねて読む無料の本と言ったら、これ以上に僕の快楽となり、社会的自尊心を傷つけるものは無い。

貧しい者達が書いた小説を、金持ちの政治家が決めた法律により、20円しか持っていない僕が読める。美しい矛盾の上に成り立つ社会への感心が、貧しい僕の心を潤す。溢れた感心は、豊かな海が津波を生み出すかのように、引いたと思えば心を壊す。スクラップ&ビルドで溢れる脳内麻薬にまた溺れる。

 

買った本は「文學界」である。どうしても今月は、古市憲寿氏の書く「平成くんさようなら」が読みたかった。この読みたいという感情を借金を返し、手元に残った金で満たすことができるとなった時に、僕を訪ねる甘美な快楽、それでいて平成プロレタリア的快楽とは違う感情が、僕に生まれることは言うまでもない。

 

しかし、僕はこの瞬間にまたも美しい矛盾を1つ生み出した。

 

「平成くんさようなら」を紙で買い、「大正文学」をオンラインで買う。

 

これら2つの事象は、僕に再び壊滅的被害をもたらしかねない快感を与えた!

非平成的とも言える紙媒体で「平成」の名を冠する文学を買い求め、非大正的な方法で「大正」の15年を象徴する文学を買うのだ!身体をよじるほどの美しい矛盾は、僕に借金の返済の素晴らしさを焼き付けるようである。

 

時代を超越するタイムマシーンがある未来の著作権法などを考えながら、次の借金を考える私は、時代を超越した、どうしようもない人間であろう。

 

若さゆえの快楽に身を寄せながら、色恋から導き出されるものなどないと考えながら、熱帯夜の残り香すら薄れた東北の夜、1人生を貪る。