地獄で安心
いくら文章を書いても、一向に生活が変わる音が響いてこない。
書いてる量なんか知らない。
即効性のある安心が欲しいのだ。
毎日自分のキャリア、実績、信頼に押し潰れそうになってくる。
何か成し遂げた気になる日がある。プロジェクトが先に進んだり、次の仕事に繋がりそうな人に会ったり。冷静に考えてみれば尺度も曖昧な「生産性」という言葉で測ってみたりして、ちょっといい気分になる日だ。
その逆で、何も成し遂げられない日もある。くだらんことに気を取られ、大局を見失う。「生産性」は低くなり生活の質も下がっていく。
「この世は地獄だ」
先の見えない日々に、全身の筋肉を硬直させながら挑まなければいけない。
今日が良かったとしても、明日も明後日も素晴らしい保証なんてどこにもない。
今日が悪かったとしても、明日も明後日も良くなっていく保証もない。逆に、状況が悪化していくビジョンだけが鮮明になっていく。瞬きをするたびにまぶたで鮮明になっていく。
自分のやりたいことなんて「何もしない」以外にあるのか?
毎日、毎日他人からの見え方や自分自身の成長を気にしながら、良くわからん「仮想の未来」と戦わなくちゃいけない。
給料が出ない仕事も「信頼」のためにやらなきゃいけない。理不尽な要求にも「笑顔」で対応しなければいけない。
この地獄には希望がない。
気づけば音楽も文学もない。
誰かの希望のために「笑顔」でいなきゃいけない。
誰かの希望のために「無給・薄給」で働かなきゃならない。
僕の希望はどこにある?
誰かの希望のために今を犠牲にして、自分の手元には何も残らないのか?
手元にあるのは簡単な逃避だけだ。
その日の夜は気持ちよく、全てを忘れて、空虚な希望に満ちて枕に顔を埋める。それでもまた目が覚めれば、どこにもない希望を探さなければならない生活だ。
毎日簡単な悦楽と、安い給料をあてにしながら生活をしていく。
即効性のある安心を求めても何も出てこないこともある。
それでも探し求めている。毎日少しずつ、首にかかった縄は締まってくる。
明日になれば良くなる。良くならないことなんてわかっている。
三年後には良くなっているかもしれない。これ以上の地獄があるのか。今のままでも十分地獄だ。
10年後には違う社会が出来上がっている。10年後には別の地獄が待っている。時は何も解決しない。
釜茹で地獄や、無間地獄があるように。
それでも戦わなければいけないのか。
誰かの希望と理想のために。
戻れはしない気がする。