死ぬことと花
なるほど。死ぬと言うことは良くないことなのか。
瀬戸内寂聴さんが、エッセイの中で「老いて死ぬのは、枝の先から枯れた葉が落ちるようなものです。」
と言っていて、すごく良いなと思った。
枯れていく植物と、死を重ね合わせるのは多分世界中にある表現なのかもしれない。けれどそこに僧侶(monk)の人が、繊細な美意識を持って重ね合わせられるのはきっと日本だけだろう。
僕は何で早く死ぬのがいけないのかよく分からなかった。きっと今もわかってない。思春期の中の希死念慮をこねくり回して、頭でっかちになった頭で考え続ける。
そんな僕にも植物と人間を重ねるとわかりやすいね。
寂聴さんが言うように、枯れた花だとすれば自然の摂理のようで納得できる。けど、若くして死ぬのは、大木が成長途中に幹からベキベキッと折れてしまう。そう考えると、「キレイな花がついたかもなぁ」って思っちゃうもんね。
まぁ人間は植物に勝てるほど価値無いけどね。
おやすみ!
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