"Once is a mistake, twice is jazz"
小さい頃から、夜の飲み屋が好きだった。
実家が、地元では客単価の高い飲食店だ。
一階が店舗、二階が自宅だったので、眠たくなるギリギリまでお店にいて両親に面倒を見てもらい、寝始めたら二階の自宅で朝まで眠っていた。
と言っても基本的に、平日も休日もおばあちゃんの家に預けられて、一年の内でごく限られた日しか実家で夜を過ごす事はなかった。
リーマンショックが起こる前の、景気が良くはないが遊ぶお金はあって、ダブルのスーツを着た男の人がよく分からないであろうワインを開けて若い女を侍らせているようなあの感じがすごく好きだった。
3歳のころは、眠くなって二階へ上がり、暖かい布団に身を横にする。
天井を見て眠ると両親がいない寂しさがどうしようもなく襲ってくるので、壁の方を向いて、胎児のように体を縮こませて眠りにつこうとする。そうすると耳に付く枕から、お店の壁や天井、二階の窓や夜の空気を伝って、大人たちの笑い声が聞こえてくるものだった。
あの頃は、」開店前のテーブルには一席に2つづつ必ず灰皿が置いてあるし、女の人が男の人にお酌をしなければならないのは当たり前で店内のBGMにはBillEvansが流れている。それがどのBillのアルバムであるかをを知らなければ大人じゃない。壁にかかる絵画は、クリムトや、ラッセンや、ミュシャで、常に統一感はないものの、その絵画の前の席に光をあてるスポットライトのように、お店にとってとても必要なもので、そのチグハグさすらも1つの空間だった。
きっと裕福だったのだろう。
ギネスビールやドンペリが常に空いていた。
美味しいものが美味しいと分かる人達で溢れていて、例えばボロネーゼのチーズが「今日は違う」とかそう言うことに気付けるのが、ステータスであり、共通のかっこよさであった。その違いがわかるくらい客単価の高い店に足を運び、美味しいものを食べる。
帰りにはスナックによってボトルキープを必ず空けて、次のボトルを注文する。
いつも行くお店なのでサービスがアップグレードされる。席に付く美人を見て、香水の違いに気づく。
洒落ていて、自分自身を知っている人間になることが大人になると言うことだと思っていた。
しかし今は貧乏だ。僕も街も貧乏だ。狭い田舎では、金を使える店もない。美味しいチカのエスカベッシュを作れる料理人はいないし、食材を揃えられる問屋もない。小さな前菜に金を払う客もいないし、いい給料をくれる会社もない。
医者と葬儀屋は儲かるが、服屋と本屋は儲からない。
だからこそ、美味しいものと、いい服と、たくさんの本にお金を使いたい。
貧しい中で、BillEvansを聴き、村上龍を読んで、南ドイツと北イタリアのチーズの違いを勉強できる、その事実こそが、真の裕福だと思うから。