パキスタン、マクドナルド、新橋
人はそれぞれいろんな場所でいつも生きていて、たまにその「それぞれ」が交わっていく。交わった場所では、初めてあったとは思えないくらい仲良くなったり、初めてあったのにコイツとはもう一生会わない。って思ったりもする。
僕は今、新橋のマクドナルドにいる。予想以上に忙しかった昨日の営業を終えて、日高屋で安く済ませて、銭湯に行って、マクドナルドにいる。
マクドナルドが好きだ。ハッシュドポテトは好きじゃないけれど、いろんな匂いやいろんな人間がいるから好きだ。いろんな「それぞれ」が落ちていて、それを拾ったり拾わなかったりできるから好きだ。
夜仕事終わりのお姉さんや、いいスーツを着てるご老人だったり、よくわからん会話をしている観光客の外国人だったり。マクドナルドの狭い座席の区切りでお互いの世界を分けられて過ごしている。ポテトの油やバーネキューソースの匂い、安っぽい香水の匂いや、煙草の匂い。
硬い座席を我慢してずっと居座ったり、お金がないけれど何か食べたくてハンバーガーだけ買ってみたり。
マクドナルドは自分自身の「今」とか「状況」を映し出している。行き場がないから来る人、終電がないから来る人。お腹が減ったから来る人、お金がないから来る人。
安くてどこにでもあって、「仕方なく」で入っても「安心感」があったりする場所。
十分に価格が安い分、誰でも気軽に入れる。様々な人が来る。
特に夜中は疲れている人が多くて、その人の、仮面を被らない本来の姿を見ているような気分になれる。
一昨日、パキスタン人のスベハンと偶然出会い仲良くなった。
彼はとても気さくで僕が座る場所を代わってあげただけなのに、何度も流暢な日本語で感謝の言葉を述べてくれた。
それから僕と彼は1時間くらい仙台駅東口のベンチでいろんな話をした。
僕がこれから東京に行くこと、彼がパキスタンでクリケットの選手だったこと、満員電車は大変なこと。僕が今無職なこと、彼は日本やイギリスでもう一度クリケット選手を目指していること。
お互いについて質問しあって、一緒にコンビニで飲み物買ったり。
その中でスベハンが言っていた。
「受け入れることがうまかったら、どうにでもなるよね。」
なるほどその通りだと思った。
彼はクリケットの選手に戻れなくても、受け入れる器用さがあればいいんだよってことや、急に話しかけたのにここまで仲良く話してくれて嬉しい。って言ってた。
いろんな人から受け入れられるには、たまには自分から話しかけてみたりしなきゃいけないかもしれないし、よく聞かなければならない。自分の人生は自分で決めているというある種現実から逃げている納得感と、なんとかなるという諦めと。他者の考えは尊重しながら、強調できる部分を見つけることも。
受け入れて、受け入れられないことに悩んで。なんだかんだで、寝る時間になっていく。
だから僕はマクドナルドに惹かれるんだろう。
世界中どこでも、変わらない値段で、24時間、受け入れてくれる。
世界中どこにいても、黄色いMのマークを見れば、自分の地元にある同じマークを思い出せる。自分自身がよくわかっていない自分を受け入れてくれて、頑張れとも、応援してるとも言わずに送り出してくれる。「受け入れることがうまい」人間になりたいよね。
そういえば今度スベハンと美味しいビリヤニを食べにいく約束もしたんだけど、ビリヤニが売ってるマクドナルドとかないかな。あったらいいな。