ガードレールの実存
目の前の物質を疑い始めた。
自分という存在があるのかと言われれば分からないし、自分が誰かもわからない。
そうなれば自分が光を屈折させて生み出した「現実」など疑えなくて当然だ。
自分と一見して交わりのない、例えばガードレールなどに触った場合に、僕はその冷たさや、なんでもない白さを通してそれを認識する。しかしその冷たさや、白さはあくまで自分が決めたものであって、本当は錯覚しているだけであって、本当は存在しないのかもしれない。
カントの考えが難しくて、「純粋理性批判」なんて10行で諦めた人が多い中でも、カントが哲学の大家であるのは「ぼんやりとした納得」が生まれてしまうからなんだろうなぁ。
まぁそんなの気にせずに僕は、自分の存在を疑問視していくわけなんですけどね。
1秒に4回切れる集中も意識すれば辿れるようになってきた。
自分ができることが増えれば増えるほど、よりさらに、自分の存在が疑わしくなるね。
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