カメレオンの抜け殻

1日1本だけ、読むと元気になったりならなかったりするブログを書いてます。

あの日僕はこころを閉じた。

3月11日という日を。僕は毎年持て余してしまう。

 

なんてことはない日常の中にある1/365日であり、8年前に東日本大震災が起こった特別な日でもある。

 

今日は2019/03/11であり、2011年3月11日では無い。5年とか、8年とか、10年とか30年だとか。そんな区分はどうだっていいんだ。今日はあの日じゃ無い。

 

寒くて、お腹が減って、寂しくて、親が迎えに来なくて、とっても暗くて。

やけに雪が綺麗で、雪に触るなって言われて、何にもわからずに、自分を守るために「むじな探偵局」に逃げ込んでいて。

心の扉をパタンと閉めなきゃ生きていられなかった。あの日じゃ無い。

 

ただその事実があればよい。

 

だけど毎年。やっぱり考えなきゃなぁ。っていう気持ちと。やっぱり考えたく無いなぁっていう気持ちと。ずっとぶつかり合って、黙祷のサイレンが流れる時間までずっと戦ってるみたいだ。それが過ぎれば少しは楽になる。

 

彼がなぜ死んだかではない

彼がどのように死んだのかでもない

彼が死ぬ前に、私は彼に対してどんなにひどいことを言ったのかなの

 

ブラックリストS3#19「ケープメイ」

 

ずっと考えてる。震災が来なければどうなっていたんだろう。って。

ひょっとしたら早川輝とも出会わず、全く他人としてどこかですれ違っていたかもしれない。お金にも困らず、自分の行きたかった私大に行けたかもしれない。よくわからない心の病気にもかからなかったかも知れない。

 

本当は平行世界があって、僕と早川さんはすれ違っているかも知れない。なんでも無い毎日を送っているかも知れない。

 

2011/03/11僕は10歳だった。小学4年生。

それが2019/03/11じゃ、18歳で高校卒業だ。

 

震災前が「普通の暮らし」って言うならば、震災の後は「普通じゃない暮らし」だ。

理不尽な自然にほとんどの物質は飲み込まれて。僕の心もきっと、深い海の底に沈んで戻ってこない。

 

そんな「普通じゃない暮らし」が「普通の暮らし」の期間を越えようとしてる。

よくニュースとかで「震災前の日常はまだ戻ってきません。」

とかって言っているけれど、ついこの間始まった僕の人生は、時の流れで「普通じゃない」が日常になろうとしている。そもそも生まれてから8年なんて覚えているのは3歳ごろからだから、ひょっとするともう超えているかも知れない。

 

その「日常になった非日常」の中には、毎年よくわからない感情でドロドロしたものが、ただ単に感動を伝えるための道具になっているようなテレビとか。綺麗じゃなくてもいいのに、綺麗じゃなきゃいけない現実とか。

いろんなものが節目の3月11日に、綺麗とそうじゃない、感動できるできない、涙が出る出ない。

みたいに両極端でそうじゃなくて良いのに、誰が決めたのかそうなるようになってるって感じる。

 

 

2011年3月11日が僕に与えた良くない影響は計り知れない。数値化できないし、数えきれない。

そして良い影響は1つもない。これだけは絶対に言える。

 

でもそこから立ち直れるチャンスをくれたり、見捨てないでくれたり、一緒にバカやってくれたり、言葉にしなくても良い感情を直接わかってくれたり。そう言う人がすごく好きで感謝している。

 

 

僕は3月11日を持て余してしまう。

それはきっといろんな感情が僕のキャパを超えて、溢れ出してしまうから。メディアや自分の内側から。

それをうまく押し戻そうとしても、出来ないから。

 

でもせめて。せめてこれだけはって言いながら。みんなに感謝して、海に花を投げ入れて、1日を過ごすんだ。

 

 

毎年この日の投稿はぐちゃぐちゃになるから、ブログ毎日書けばまとめられるかな。なんて思いながら始めたけど、意外とそんなこともなく、ぐちゃぐちゃだった笑

 

 

 

 

 

 

 

 

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