カメレオンの抜け殻

1日1本だけ、読むと元気になったりならなかったりするブログを書いてます。

チョコレイトディスコ

集中力がなくなってきている気がする。

それほど熱量を向けられるものに出会っていないのか、それともついに加齢というモノを感じるべき時がきたのか。

毎回、こうやって文章を書くときには改行するたびにTwitterを見ている。

ネットで映画を見るときも、最近はiPhoneを見ながら画面に向かうようになってしまった。新書なんて一冊読むのに一週間はかかってしまったりするし、本を読んでいるうちに飽きて、別の本を開く始末だったりする。

どうにかならないものだろうか。

コンサータザナックス的なものは身体に合っているが、如何せん入手しづらい。

毎日鍛錬のつもりで何かするのも疲れるので嫌だ。

努力など必要とせず即効性が欲しいのだ。

 


こんなふうに書いていくと、面白いことに自己完結してしまうことがしょっちゅうある。今私は自己完結した。無敵だ。
自分にとって文章を書くというのは、「自身の再構築」であると思っているのはこういうところだ。

端的にいうと私は、集中力がないと言いながら、嫌なことから逃げようとしているのだ。逃避は必要な行動であるが、この場合の適切な行動ではない。
道教室に嫌々通っていた意味が今ならわかるかもしれない。

結局のところ、どうしても「血の滲む努力の末に生まれた何か」に人間は勝てないのだ。

死ぬほど嫌だった書道教室も、今では熨斗を書くのに役立っているし、手紙や住所の代筆を頼まれたときに自信を持って引き受けられる。

英会話も独会話も、文章の構築もなんとなくが積み重なるんだろう。

集中力もあと5分だけやろう。みたいなものを積み重ねていった末になし得るんだろうな。きっとそうだな。

 

そういえば、集中は英語で「Concentrate」だったな。
Perfumeのあれに似てるな。